翌日早起きして屋上にあがったが 天気が悪くて日の出が見れなかった。
風が強く曇っていてぽつぽつと雨が顔を打つ。山だけあって朝夜は肌寒いが 雨が降ると湿気で体が重くなった様に感じる。屋上の洗濯紐に昨夜から女性の洗濯物が干してあった。
またぽこぽこが現れたので 雨の所為かも知れないと思い レンズをゴシゴシ拭いたらAFが馬鹿になってカメラが壊れてしまった。
幸い、雨は長くは続かなかった。部屋でぼーっとしているとゼンが来た。シンフォー達がみんな寺院に行ってるから行かないか?と誘われて向かう。寺の中は人で一杯だった。
ゼンがシンフォーを探しに色んな子に声を掛けている。この子達はシンフォーの生徒だった。一番後ろの壁際に やっと地べたに座っているシンフォーを見つけた。隣の女性がスペースを空けてくれ 座らせてもらう。みんなお経を唱えている。その間をお坊さんがダンボールを持って回り、お菓子やバナナを配り大きなヤカンでチャイを注いでくれた。チベットのチャイはマサラが入っていないミルクティだ。次々とお坊さんが回ってきて これでもかと食べ物をくれる。私はこんなに貰って良いものかと思った。
ゼンが数珠を貸してくれて マントラを教えてくれた。数珠を両手で持ち 一粒一粒数えながら、OM MANI PEDME HUM(オー・マニ・ペメ・フン)と唱えるのだ。1個数えるのに1回唱えるので早口になる。いつの間にか集中して空っぽになっていた。右前方に板の上で五体投地をする女性がいた。掌を滑らす為に左右に置いてある小さなクッションを使い、全身で祈りを捧げている。彼女を見ていたら、涙が出てきた。もの凄く悲しいのだ。理由は分からない。今も彼女を思い出すと涙が出てくる。
思わぬ自分の涙に困惑していると、シンフォーが英語の出来る友達を紹介します、彼に色々案内してもらいましょう、とゼンを通して話しかけてくれた。黒いTシャツに黒いハンチングを逆に被った男性が現れて私の前に座った。彼の名前はソナン、彼自身も10年前にヒマラヤを越えてやってきた。彼は私の目をじっと見て なぜ君は泣いているんだと聞く。解らない、彼女を見てたら涙が出てきてとても悲しい。泣く事はないよ、私達は大丈夫だから、と落ち着いた声でゆったりと慰めてくれた。私が喋れないでいるので、彼はここのチベット人の事や信仰について話し続けた。彼の優しさや温かさが伝わってくる。彼の慈愛に満ちた黒い瞳を見ているとスッと落ち着いた。あの瞳は一生忘れないだろう。不思議だった。どうしてそんなに穏やかでいられるの?と聞くと ダライラマのお陰だよと言っていた。
ソナンが寺院の中を案内してくれる。ヒンドゥの派手さから比べると少し落ち着いた感じだが 色使いは日本の寺とは違う。
青い髪の仏陀
断食時の仏陀
ソナンと話して いまいち良く解らなかった事が段々見えてきた。
シンフォーはここで学校を作っていた。音楽を教える学校だ。ソナンはそこの先生だった。生活の厳しいチベット難民の子供達が将来に希望を持てずに苦しんでいるのを 何とかしたいとずっと考えていたシンフォーは 学校を訪れて子供達に触れている時このアイデアを思いついたそうだ。チベットスクールは年に2回長い休みがある。それを利用して音楽に興味を持った子供達(中学から高校生)が集まり ギターの弾き方や歌を習っていた。子供達にお金はかからない。資金はシンフォーが台湾でマッサージ(と言っていたが整体だと思う)や中国漢方医療で集めた寄付金でまかなっているのだそう。ソナンはシンフォーを心から尊敬していた。これから学校に行くけど 一緒に来ないかと誘われて皆で行った。ゼンはここに入り浸っていた。ここでもうひとつ誤解が解けた。ゼンは台湾人ではなかった。天津出身の中国人だった。彼はチベットに住んでいた事があって、言ってみれば 中国教育を受けたチベット人と同じだった。ゼンはインドに英語留学で来ていて、偶然シンフォーとバラーナッスィで出会い、一緒にここまで旅をして来たのだった。
この学校では みんな中国語で話している。やはりシンフォーとゼンの中国語は違う。学校は普通のバンガローの様な建物が二棟。先生はもう一人、ブブさんという元気一杯なムードメーカーがいた。ブブは私と同い年だった。先生2人は北京語チベット語英語ヒンディ語を解す。
シンフォーが美味しいお茶をいれてくれて、生徒がご飯を作ってくれた。ちょっと塩を入れすぎてしょっぱかったが なかなか美味しかった。ソナンはすごく食べるのが遅く、ゼンはびっくりする程量を沢山食べる。
生徒を集めて話をするシンフォー。左の奥はソナン、手前がゼン。
あの瞳のソナンとギター
夜、中国青海省地震が何日か前に起きていた事を知った。
あの女性の悲しみがどこから来ていたのか解ったような気がした。
[1回]
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