何日振りだろう?ダラムシャーラーで酒屋を見つけた。
リシケシュからず~っと お酒も肉も口にしてなかった。
先日久し振りに食べたマトン肉のモモ(餃子に似ている)は 正直臭くて食べられなかった。
さあ、お酒はどうだろう?
酒屋でインド産のワインを見つけ、ハーフボトルの赤を掴むとブロンドの女の子が同じ物を何本か掴んだ。目を合わせて笑い、このワイン飲んだことある?美味しい?と聞くと、私も初めてなのよと言った。お酒は久し振りなの。あら、そうなの?私は食事の時いつも飲んでるわ、楽しんでね~、と彼女。あなたもね!
ワクワクしながら部屋に戻り スクリューキャップを開ける。う~ん、味はそんなに特別な物ではなかった。すぐ酔ってしまう。ハーフでかなりフラフラして眠ってしまった。翌朝、ストレスフルな夢をみて目が覚めた。久し振りの悪夢。お酒、関係あるのかなぁ~??
いつもの様にドーナツを買おうと広場に出ると、何やら拡声器で叫んでいる人達がいた。近寄ってみると 青海省の地震被害者に寄付を募っていたのだった。手持ちの100ルピーを渡すと わざわざ領収書を切ってくれた。約200円ちょっとなのにとても感謝された。ドーナツを食べていると、バスで一緒だった韓国人2人組と出会う。手招きして一緒にベンチに座り 朝ご飯を食べる。2人とも寄付してきた所だった。あなた、人と話すの好き?と聞かれる。大好きよ!と答えると、tibet hope centerという所でチベットの問題について 英語でボランティア達と話し合う集まりがあるから行かない?と誘われた。シンフォーの学校のすぐ近くだった。面白そうだったのでゼンを誘って行ってみる。見た顔があると思ったら ダライラマ寺院で会った韓国人夫婦が主催者だった。
この集まりの趣旨は 亡命したチベット人に英語を教える事だった。英語圏のツーリストボランティアが中心になって ゲームや遊びを通し会話を教えるというものだった。最初2・3人のグループに別れて そこにボランティアを1人交え、表現を学ぶ。自己紹介の際、ゼンが中国人だと言うと、チベットの若者があからさまに眉をひそめ、嫌悪感をむき出しにした。亡命したてのチベット若者は 男女拘らず一様に顔に凍傷の痕がある。シンフォーの学校に通ってくる若者も同じだ。日に焼けているので、痕は白く浮いてている。軽い火傷痕の様である。彼らの笑顔を見ていると全く気にならないのだが、嫌悪や悲しみの表情には この痕は更に悲愴感を加える。
何故かゼンは自分の歳を頑として言わなかった。私もそれにあやかった。
ボランティアの人達は皆柔らかく、年配から若者まで揃っていた。チェコの青年とウェールズの漁師の息子とお喋りした。それぞれ、目的意識は違うが 色んな人が集まる所は面白い。色んな生活を垣間見れる。全部で50人以上は集まっていた。唯一日本人だった私に 日本語で話しかけてきた人が2人いた。1人は日本語を勉強している韓国人、彼女は英語より日本語の方が上手かった。もう1人は日系三世のアメリカ人だ。彼は大学生で線の細い子だった。上手な日本語だが、所々たどたどしい。日本に何年か住めばすぐ日本人と同じ様に話せるだろう。祖父母は山口県の出身だそうで、よく日本には帰るの?と聞くと、もう日本には家族がいないので帰らないんだと言った。たった何十年かで そうなってしまうのか~と思った。
結局、韓国人達は来なかった。あとで聞いたら若い方の子が体調を崩したとの事だった。
ダラムシャーラーにはとてもボランティアグループが多い。
シンフォーの様に個人でやる所もあるが 多くは団体で行っている。いたる所で英語のボランティア募集の張り紙を見かけた。他にはアーティストが個展を開いて売り上げを寄付していたり、チベット僧の手作りのお香をボランティアが売っている。他にも英語を教えたり、子供達に食事を与えたり、色んな形でチベット人を助けている。それだけチベットへの理解が世界的に広まっているのである。ダライ・ラマの功績なのだろう。
黄色とえんじの法服を着た白人の僧も何人か見かけた。尼僧もいた。肌が白いので坊主がとても目立つのだ。そういえば、帰ってきてから知ったのだが、リチャードギアもチベット仏教徒なのだそうだ。
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