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アートメイクサロン“La paresseuse”の技術者 HIROMIの日記です。旅日記や、日々思ったり感じたりしている事を書いていこうと思います。どうぞ おつきあい下さいね☆ 

La Paresseuse BLOG

   
カテゴリー「旅」の記事一覧

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バーラーナスィ

少し前はベナレスと呼ばれていた聖地に到着。

友達になった日本人S君とホームで会う。「お~い、お~い!」
私は数ある沐浴場、ガートの中で 一番上流にあるアッシーガートに泊まろうと決めていた。他のガートから少し離れているので静かそうだったからだ。S君も じゃ僕もそこに行こうかなとリクシャーをシェアする。声掛けてくるリクシャーワーラーを無視しながら駅を出て、英語が出来ないリクシャーを捕まえて現地価格でアッシーガートへ向かう。
彼はなんと、同じ地元の人だった!!!インドで会うなんて不思議。
彼は“素直で人が良い”っていうのを地で表してる。弟と同い年で、バーラーナスィは二度目。彼は去年8月に家を出て、現チャリで沖縄まで旅してそれから中国に入り ずっと陸路でインドに来たそう。今回はここからネパールに入りエベレストキャンプへ行く予定だそうだ。


ガンジス川沿いに 狭くて古い街が広がっている。リクシャーからのヴュー
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ゲストハウスに着くと、部屋が空いてなかった。インドの安宿はシングルでもベットが二つ、A/C付だと値段がぐんと上がる。天井に大きな扇風機が付いていて、乾期だから下の階なら快適だ。ツインなら1部屋空きがあり、明日ならシングルも空くらしいので、一泊S君とシェアすることにした。ベットが3つあった。荷物を置き、早速歩きだす。
夜は絶対怖いだろうなっていう路地を気の向くまま歩く。空き地で子供が木の上のサルに石を投げて遊んでいた。私達も一緒に投げて遊んだ。中々当たらないもんだ。狭い道を牛や人や犬がぞろぞろすれ違う。時々バイクが大きなエンジン音で ビービークラクションを鳴らして3メートルも無い路地をすれ違う。

ラッキーなことに、ヒンドゥしか入れないという黄金寺院に入ることが出来た。自称政府公認ガイドが入れてやると言うのでお願いしたのだが・・・。君たちはラッキーだよ、普段は入れないんだと言いながら もちろんぼられた。入る前に荷物や靴を脱ぎロッカーに入れ、花やお供えを100ルピー買って ノルウェイ人老夫婦と4人で入った。ガイドがずっと院内を説明してくれた。もの凄い人だった。みんな真剣にお祈りしている。こんな所をバック持って入ったらスリにあうだろうな。ガイドに付いてヒンドゥでお祈りの言葉を復唱しながら色んな神様の周りをぐるぐる回った。この寺は回教徒に所どころ破壊されている。つい最近もテロがあり、いくつかあるゲートには重々しい武装した警察が沢山いた。
最後に500ルピーお布施を請求される。彼らはインド訛りでこれはグッドカルマだ、を繰り返した。S君は100払い、ガイドにこれだけ?と言われていた。私はスワミに花の首飾りをもらって少し感動してたので500払った。ノルウェイ人は皮肉を言いつつも払っていた。

またブラブラ歩き 日本人経営のGHでビールを飲んだ。お酒は少し高めだ。S君はあまり飲めない人だった。そこで階段を杖をつきながらゆっくり降りるヒョロッとしたおじいさんに会う。インド人だと思ってたら日本人だった。インドの服がとても似合っていて白く長いヒゲが仙人の様だった。目がとても優しい。彼はこれから3週間バーラーナスィに滞在しなくてはならないんだよと言っていた。S君は彼はインド研究者なんじゃないかなと言った。

ガートに出ると、タブラーに合わせて子供達が歌って踊っていた。
もう夕方で、少し涼しくなり いい絵だった。
ただ、やつらは爆竹を持っていて面白がってパンパン鳴らしていて、突然 近くでデカいのを鳴らしやがった!! あ、耳が・・・・!!
本人は足に火の粉が付いたらしく 片足で飛び跳ねていた。
良くないことは必ず自分に返ってくるんだ!と言ってやった。
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バーラーナスィの夜はとても素敵だった。なんとこの日は満月で、ガンガーに映る月明かりがとても幻想的で、S君と屋上のレストランでいい月夜だねぇ~と 遅くまで話し込んだ。

翌朝、6時にヨガをした。GHでタダでやってくれた。
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筋肉をプルプルさせながら 軽く朝食を取り、火葬を見に行った。
死者は川に向かって焼かれている。ツーリストは写真はダメだよと言われながら、固まってガートの右側の階段に並んで座らされる。この階段がまた、日に焼けていてお尻があっついのだ。気温は40度、プラス火葬の火。私はサンダルを片方脱いでお尻に敷く。みんな神妙な顔して左を向いて火葬を見ていた。家族が薪を積んで発火剤を撒き一度ガンガーに浸した死者を乗せる。ガンガーから運び上げる時に顔を覆っていた布がハラッと落ちる。薪山から頭と足がはみ出ているまま火をつけると はじめ布が黒く焦げ、体のシルエットが露わになる。そのうち足が落ち、薪が崩れ 煙のうちに薪だか身体だか分からなくなる。これはクリスチャンにはショックだろうなと思う。私は意外と平気だった。死体は既に物となっている様に見えた。それよりも目の前で繋がれたメス牛が若いオス牛に乗られるのを必死になってモーモー避けていたのが面白かった。首を繋がれてるから首を中心に扇形に回って逃げるのだ。私がいる間は逃げ切っていた。時々メス牛の飼い主が「ハーッ!!」て叫び 棒でオス牛を叩いていた。
ホスピスを見に行かないか、とインド人に声をかけられたが 火葬の後は とても悪趣味のように感じられて、もう行ってきたよと答える。

S君が急遽ネパール行きのバスが取れないと、その日にデリーに戻ってデリーから空でポカラに行く事を決める。時間があったので舟を借りる事にした。値切りに値切ったら一番ボロに乗る羽目になった。
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舟の中、水入ってきてるし。
S君は鍵落としちゃって、臭くて汚いその水の中に手を入れる羽目になった。
でも、夕日は素晴らしかった。これでインドの罪は全て許されてしまうのだ。
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列車の旅

朝8時にニューデリー駅の外国人専用チケットオフィスに行った。
色んなガイドブックによると中々たどり着けないらしいが、すんなり。拍子抜け。
簡単に夕方出発バラナッスィ行き寝台列車2Bのチケットを手に入れる。
ガイドブックはツーリストをビビらせ過ぎだ。

2Bは寝台二段。私は上を希望したのに下の段だった。
今朝 知り合った日本人男子が乗ってきてしばし歓談。
彼は少し安い3Bの席で、「やっぱ2Bは客層が違うなぁ~」と言った。
各クラスの列車は行き来出来ないようになっているので安心だ。
私の客室にはスイス人のおじさんとイギリス人の若者、家族連れのお金持ちインド人男性の4人。
スイス人おじさんは超おしゃべり。インド大好きで何度も来ていて、バラナッスィには家族のような知り合いがいるらしい。アーミーベストと小さいバッグのみ。汚いが身軽で羨ましかった。彼はアウトドア派でスイスで山登りが趣味らしい。写真を見せて貰ったが全くの別人だった。
「What a white you are!」と言ったらみんな笑った。彼はベストのポケットに何やら一杯入ってて、自慢そうにスプーンとフォークも持ってんだぜって言って携帯用の食器を見せてくれた。インドで買ったんだ、大した値段じゃないよ、あぁ ナイフも付いてる、これは便利だね~なんてみんな感心していた。
それ、スイスナイフみたいだって言ったらイギリス人がかなりウケてた。

彼は背が高くて髪がクリクリのモデルみたいなイケメン。
ギターを持っていた。ギターなんか持って邪魔じゃないの?と聞くと、分かってるよ、これインドで買ったんだ。クオリティ高いでしょ、悩んだんだけど これで6000ルピーだったからついねぇ。確かにいい音で美しいギターだった。音を聞いてると気持ちよかったので(スイス人を黙らせる為もあったが)ずっと弾いててくれと頼んだ。彼は間違える度に、う~ん練習が必要だとつぶやき続けていた。

列車は禁煙で、二人ともぜんっぜん余裕だよと何度もトイレに立っていた。
夕食は30ルピーで持ってきてくれる。インド人家族は美味しそうなお弁当を持ち込んでいた。
スイス人はどうだとニコニコしながら自慢のフォークで食べていた(笑)
夜も更けると背もたれを起こし シーツを敷いてベットを作る。
イギリス人は足がかなり通路にはみ出していた(笑) そんなんで楽なの?と聞くと、深夜バスとは比べ物にならない、狭いし立てないし臭いし足が伸ばせなくて辛いと。インド人は乗り物に弱く、バスでは誰かが必ず吐くそうだ。しかし、靴を脱いだ彼の足も臭かった。
インド人男性も家族の客室から戻り、私の上のベットに横になる。
起きたらもうバーラーナスィだった。急いで窓から写真を数枚撮る。
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デリーでの出会い


行きに3日、帰りに2日合わせて5日間デリーに滞在した。
デリーで出会った人達の事を思いつくまま少し・・・。

35歳で脱サラして 1年余りバイクでインドを回り写真を撮っているという日本人男性に会った。まだこれからも出来るだけ長く滞在する為 超節約旅をしていた。安宿に滞在し いつも60ルピーのタジンを食しているそうだ。1ルピー約2円余。

ホテルのツアーカウンターに居た日本語のうまい41歳インド人。
チャイを何杯もご馳走になる。彼は家が貧乏な為、18歳で日本に行ったそうだ。
埼玉に住んでいたというので、私は熊谷出身だと言うと「田舎だねぇ。」って突っ込まれる。
日本人の恋人がいたのだが、妊娠を期に結婚を真剣に悩んだらしい。
しかし、日本では食べていけずインドは彼女が嫌がり、結局彼女は堕胎を選んだそう。
彼はとってもショックで暫く落ち込み 3回も交通事故にあったそうだ(笑)
日本語が上手いだけあってここでも日本人ツーリストにモテるらしいのだが、彼曰く「ここに来る日本人は僕のレベルには合わない。低すぎる。」そうだ。なんとも!(笑)

彼の友達、カナダのハーフインド人が 君はフランス語を話すのか?と聞いてきた。何で?と聞くと 私の英語はフランス訛りだって。かなりショック。

フランス人も多かった。若い、ドレットヘアのヒッピーカップルは1歳の女の子を連れていて 軽いブラウスだけ着せ 下は何も穿かせず放し飼いで タブラーを叩いていた。
ブロンドのカールが天使みたいな女の子だった。さぞトイレの躾が簡単だろう。

目立ったのは50~60代のフランス女性だ。
大抵独身で30代のインド人男性を連れている。ガイド兼・・・というところか。話を聞くと子供達は皆自分の家庭を持つようになって 仕事もひと段落着いて自由時間が持てる人達だった。フランス語を話したがらない所が特徴的だった。ああ、フレンチ訛り。。。

外で話しかけてくるインド人は、フリーで色んな土産店や旅行代理店に連れて行こうとする。
それからアーユルベーダマッサージを無料でしてあげるを切り口に、デリー案内やその他サービス込み込みで付き添うイケメンインド人達。
彼らはテンポラリーなヒモなのだ。洋服はじめ、色々買ってもらうみたい。
何度も日本の友達だという女の子達の携帯写真を見せられた。

マクドナルドで話しかけてきたIT学校に通う学生は、旅程について色々聞いてきた。
彼らは旅行代理店とは関係なく、自分でチケットやホテル予約して手数料を得る様だ。
感じの良い頭のいい若者で 協力してあげたいとも思ったが、自分で出来るし 予定は何も決められなかったのだ。

日本人の若者パッカーはみんなネットカフェにいた。ブログや写真編集で忙しそうだった。
とても愛らしい子が多かった。そういえば街では殆ど見なかったな。
インド人の携帯でしか。

日本製のTシャツですら厚手に感じるインドの暑さに負け、店に入った。
一枚買っただけだが オーナーにチャイを何杯もご馳走になり話に耽る。
大抵洋服屋は親の家業を継いでいる場合が多い。
必ずインド人が聞いてくるのは日本の出身地、仕事、家族構成、両親は健在か否か、だ。
だから当然 離婚や子供達の話を避けられない。インド滞在中、何度説明したことか。
彼らはとても保守的で離婚を恥と感じている。
恥じている人に話すのは 何故か自分も恥ずかしく感じるものだ。

行きの3日目、ホテルの隣部屋にいた元気な日本人女子と仲良くなった。
彼女はその日の夜 日本に帰った。情報や小道具を貰った。
朝ご飯を一緒に食べに外に出たら、ジャイプールで会って少し話したという日本人男子にばったり出会った。彼は翌日 私と同じ電車でバラナッスィに向かうと言うので、じゃぁ向こうで会うかもね、よろしくねと挨拶して別れた。
結局彼とはバラナッスィでずっと一緒に過ごす事になる。

インド中で沢山チャイをご馳走になったが、彼らは自分で淹れる訳ではなく 外のチャイ屋さんに持ってきてもらう。ツーリスト価格は一杯15か20ルピーだが、現地価格は半分の量で2、3ルピー。なので喜んでご馳走になった。
チャイも色んな味があり面白かったが 何より彼らとの会話が面白かった。
 

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インド旅行記

3月26日から丸1ヶ月間、インドを旅してきました。
日記を 少しづつ、ここにシェアしていきたいと思います。
 

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やっと体調が戻ってきた。
これだけ時間が経ってしまうと、何を書いたら良いのか分からない・・・。
1ヶ月間の体験
が1つにまとまってしまって、何を切り取ればいいのか。

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う~ん。

まず、着いた時のインドの印象。

白い。空気が白くて動かない。
白く乾いた空に、ぼーっとほおずきの様な卵の黄身の様な朝日が乗っていた。
空港からバスでニューデリーに向かった。
霧の様だが霧ではなく 乾いた白い土埃。
風が無いので空気が動かない。気温は3月末で35℃位だった。
朝の爽やかさが無かった。道路脇のバラックからモソモソと起き出す大人や子供。
暑いからかな。みんな早起きで、地べたで湯を沸かしチャイの準備をしていた。

安宿の集まるメインバザールは最初訳わからなかった。
看板を見つけるコツがある。それが判ればすぐ慣れる。
ツーリストも多い。ので、うそつきも多い。
最初に声掛けられたのはガンジャ売りだった。
あとで分かったのだが、普通の格好(私達の感覚で)しているインド人はメインバザールには行きたがらないし、どこにあるかも知らない。汚なくて貧しい場所なのだ。

デリーは都会だ。
しかし、こうもエネルギーを必要とするとは思わなかった。
気温が高いのもあるが、何一つとしてスムーズに行かない。
歩いているだけで 客引きが群がってくるし、ほっとくといつまでも付いて来る。
でも 話し相手には事欠かない。それは面白いので寂しくはない。
何をするにも全てにツーリスト価格と現地価格と吹っかけ価格がある。
現地価格までは行かなくても ツーリスト価格まで下げるのが一苦労。
そこから少しお得な値段までにしてもらうのが 私の決めた線だった。
面白いが面倒になる時もある。

インド人は基本的にとっても真面目だ。そこに好感を持った。
嘘も一生懸命につく。真面目に騙すのだ。
そして バレると一生懸命とぼける(笑)
みんな敬虔なヒンドゥなのに、なぜ人を騙すのか疑問に思っていたが解った。
彼らにとっては 因果がとても近いのだ。直接的な因果関係なんだな。
騙して儲けたのではなく、客が財布からお金を出したから貰っただけ。
客の同意があるという理屈。
直接 盗んだり奪ったりするのはやっぱり気が引ける様だ(笑)
これは、ツーリストを相手にしている商売人に限っての話だけど。

気になっていたカーストについては、当人達が自然に受け入れていると感じた。私達が男・女を持って生まれてきているのと同じ様に自然なんだ。確かにひどい扱いを受けているのを目にしたが。しかし、それを現地でボランティアしている欧米人に話したら「それは違う!」と言われてしまった。それに対して「ふ~ん違うのか。」としか言えない。確かにジェンダーに不満を持つ人もいるしな。

全体的に、デリーはマテリアリストの集まる都会だった。
ツーリスト達は口を揃えて「デリーは地獄」と言っていた。
 

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プロフィール

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自営業
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早稲田にてアートメイクサロンをしています。出張もするよ~♪興味があったらご連絡ください。バックパックの旅が大好き。息子達を放ってふらっと旅に出ます。ふふふ。

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