少し前はベナレスと呼ばれていた聖地に到着。
友達になった日本人S君とホームで会う。「お~い、お~い!」
私は数ある沐浴場、ガートの中で 一番上流にあるアッシーガートに泊まろうと決めていた。他のガートから少し離れているので静かそうだったからだ。S君も じゃ僕もそこに行こうかなとリクシャーをシェアする。声掛けてくるリクシャーワーラーを無視しながら駅を出て、英語が出来ないリクシャーを捕まえて現地価格でアッシーガートへ向かう。
彼はなんと、同じ地元の人だった!!!インドで会うなんて不思議。
彼は“素直で人が良い”っていうのを地で表してる。弟と同い年で、バーラーナスィは二度目。彼は去年8月に家を出て、現チャリで沖縄まで旅してそれから中国に入り ずっと陸路でインドに来たそう。今回はここからネパールに入りエベレストキャンプへ行く予定だそうだ。
ガンジス川沿いに 狭くて古い街が広がっている。リクシャーからのヴュー
ゲストハウスに着くと、部屋が空いてなかった。インドの安宿はシングルでもベットが二つ、A/C付だと値段がぐんと上がる。天井に大きな扇風機が付いていて、乾期だから下の階なら快適だ。ツインなら1部屋空きがあり、明日ならシングルも空くらしいので、一泊S君とシェアすることにした。ベットが3つあった。荷物を置き、早速歩きだす。
夜は絶対怖いだろうなっていう路地を気の向くまま歩く。空き地で子供が木の上のサルに石を投げて遊んでいた。私達も一緒に投げて遊んだ。中々当たらないもんだ。狭い道を牛や人や犬がぞろぞろすれ違う。時々バイクが大きなエンジン音で ビービークラクションを鳴らして3メートルも無い路地をすれ違う。
ラッキーなことに、ヒンドゥしか入れないという黄金寺院に入ることが出来た。自称政府公認ガイドが入れてやると言うのでお願いしたのだが・・・。君たちはラッキーだよ、普段は入れないんだと言いながら もちろんぼられた。入る前に荷物や靴を脱ぎロッカーに入れ、花やお供えを100ルピー買って ノルウェイ人老夫婦と4人で入った。ガイドがずっと院内を説明してくれた。もの凄い人だった。みんな真剣にお祈りしている。こんな所をバック持って入ったらスリにあうだろうな。ガイドに付いてヒンドゥでお祈りの言葉を復唱しながら色んな神様の周りをぐるぐる回った。この寺は回教徒に所どころ破壊されている。つい最近もテロがあり、いくつかあるゲートには重々しい武装した警察が沢山いた。
最後に500ルピーお布施を請求される。彼らはインド訛りでこれはグッドカルマだ、を繰り返した。S君は100払い、ガイドにこれだけ?と言われていた。私はスワミに花の首飾りをもらって少し感動してたので500払った。ノルウェイ人は皮肉を言いつつも払っていた。
またブラブラ歩き 日本人経営のGHでビールを飲んだ。お酒は少し高めだ。S君はあまり飲めない人だった。そこで階段を杖をつきながらゆっくり降りるヒョロッとしたおじいさんに会う。インド人だと思ってたら日本人だった。インドの服がとても似合っていて白く長いヒゲが仙人の様だった。目がとても優しい。彼はこれから3週間バーラーナスィに滞在しなくてはならないんだよと言っていた。S君は彼はインド研究者なんじゃないかなと言った。
ガートに出ると、タブラーに合わせて子供達が歌って踊っていた。
もう夕方で、少し涼しくなり いい絵だった。
ただ、やつらは爆竹を持っていて面白がってパンパン鳴らしていて、突然 近くでデカいのを鳴らしやがった!! あ、耳が・・・・!!
本人は足に火の粉が付いたらしく 片足で飛び跳ねていた。
良くないことは必ず自分に返ってくるんだ!と言ってやった。
バーラーナスィの夜はとても素敵だった。なんとこの日は満月で、ガンガーに映る月明かりがとても幻想的で、S君と屋上のレストランでいい月夜だねぇ~と 遅くまで話し込んだ。
翌朝、6時にヨガをした。GHでタダでやってくれた。
筋肉をプルプルさせながら 軽く朝食を取り、火葬を見に行った。
死者は川に向かって焼かれている。ツーリストは写真はダメだよと言われながら、固まってガートの右側の階段に並んで座らされる。この階段がまた、日に焼けていてお尻があっついのだ。気温は40度、プラス火葬の火。私はサンダルを片方脱いでお尻に敷く。みんな神妙な顔して左を向いて火葬を見ていた。家族が薪を積んで発火剤を撒き一度ガンガーに浸した死者を乗せる。ガンガーから運び上げる時に顔を覆っていた布がハラッと落ちる。薪山から頭と足がはみ出ているまま火をつけると はじめ布が黒く焦げ、体のシルエットが露わになる。そのうち足が落ち、薪が崩れ 煙のうちに薪だか身体だか分からなくなる。これはクリスチャンにはショックだろうなと思う。私は意外と平気だった。死体は既に物となっている様に見えた。それよりも目の前で繋がれたメス牛が若いオス牛に乗られるのを必死になってモーモー避けていたのが面白かった。首を繋がれてるから首を中心に扇形に回って逃げるのだ。私がいる間は逃げ切っていた。時々メス牛の飼い主が「ハーッ!!」て叫び 棒でオス牛を叩いていた。
ホスピスを見に行かないか、とインド人に声をかけられたが 火葬の後は とても悪趣味のように感じられて、もう行ってきたよと答える。
S君が急遽ネパール行きのバスが取れないと、その日にデリーに戻ってデリーから空でポカラに行く事を決める。時間があったので舟を借りる事にした。値切りに値切ったら一番ボロに乗る羽目になった。
舟の中、水入ってきてるし。
S君は鍵落としちゃって、臭くて汚いその水の中に手を入れる羽目になった。
でも、夕日は素晴らしかった。これでインドの罪は全て許されてしまうのだ。
[3回]
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