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アートメイクサロン“La paresseuse”の技術者 HIROMIの日記です。旅日記や、日々思ったり感じたりしている事を書いていこうと思います。どうぞ おつきあい下さいね☆ 

La Paresseuse BLOG

   
カテゴリー「旅」の記事一覧

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TIBET HOPE CENTER

何日振りだろう?ダラムシャーラーで酒屋を見つけた。
リシケシュからず~っと お酒も肉も口にしてなかった。
先日久し振りに食べたマトン肉のモモ(餃子に似ている)は 正直臭くて食べられなかった。
さあ、お酒はどうだろう?
酒屋でインド産のワインを見つけ、ハーフボトルの赤を掴むとブロンドの女の子が同じ物を何本か掴んだ。目を合わせて笑い、このワイン飲んだことある?美味しい?と聞くと、私も初めてなのよと言った。お酒は久し振りなの。あら、そうなの?私は食事の時いつも飲んでるわ、楽しんでね~、と彼女。あなたもね!
ワクワクしながら部屋に戻り スクリューキャップを開ける。う~ん、味はそんなに特別な物ではなかった。すぐ酔ってしまう。ハーフでかなりフラフラして眠ってしまった。翌朝、ストレスフルな夢をみて目が覚めた。久し振りの悪夢。お酒、関係あるのかなぁ~??

いつもの様にドーナツを買おうと広場に出ると、何やら拡声器で叫んでいる人達がいた。近寄ってみると 青海省の地震被害者に寄付を募っていたのだった。手持ちの100ルピーを渡すと わざわざ領収書を切ってくれた。約200円ちょっとなのにとても感謝された。ドーナツを食べていると、バスで一緒だった韓国人2人組と出会う。手招きして一緒にベンチに座り 朝ご飯を食べる。2人とも寄付してきた所だった。あなた、人と話すの好き?と聞かれる。大好きよ!と答えると、tibet hope centerという所でチベットの問題について 英語でボランティア達と話し合う集まりがあるから行かない?と誘われた。シンフォーの学校のすぐ近くだった。面白そうだったのでゼンを誘って行ってみる。見た顔があると思ったら ダライラマ寺院で会った韓国人夫婦が主催者だった。

この集まりの趣旨は 亡命したチベット人に英語を教える事だった。英語圏のツーリストボランティアが中心になって ゲームや遊びを通し会話を教えるというものだった。最初2・3人のグループに別れて そこにボランティアを1人交え、表現を学ぶ。自己紹介の際、ゼンが中国人だと言うと、チベットの若者があからさまに眉をひそめ、嫌悪感をむき出しにした。亡命したてのチベット若者は 男女拘らず一様に顔に凍傷の痕がある。シンフォーの学校に通ってくる若者も同じだ。日に焼けているので、痕は白く浮いてている。軽い火傷痕の様である。彼らの笑顔を見ていると全く気にならないのだが、嫌悪や悲しみの表情には この痕は更に悲愴感を加える。

何故かゼンは自分の歳を頑として言わなかった。私もそれにあやかった。

ボランティアの人達は皆柔らかく、年配から若者まで揃っていた。チェコの青年とウェールズの漁師の息子とお喋りした。それぞれ、目的意識は違うが 色んな人が集まる所は面白い。色んな生活を垣間見れる。全部で50人以上は集まっていた。唯一日本人だった私に 日本語で話しかけてきた人が2人いた。1人は日本語を勉強している韓国人、彼女は英語より日本語の方が上手かった。もう1人は日系三世のアメリカ人だ。彼は大学生で線の細い子だった。上手な日本語だが、所々たどたどしい。日本に何年か住めばすぐ日本人と同じ様に話せるだろう。祖父母は山口県の出身だそうで、よく日本には帰るの?と聞くと、もう日本には家族がいないので帰らないんだと言った。たった何十年かで そうなってしまうのか~と思った。

結局、韓国人達は来なかった。あとで聞いたら若い方の子が体調を崩したとの事だった。 

ダラムシャーラーにはとてもボランティアグループが多い。
シンフォーの様に個人でやる所もあるが 多くは団体で行っている。いたる所で英語のボランティア募集の張り紙を見かけた。他にはアーティストが個展を開いて売り上げを寄付していたり、チベット僧の手作りのお香をボランティアが売っている。他にも英語を教えたり、子供達に食事を与えたり、色んな形でチベット人を助けている。それだけチベットへの理解が世界的に広まっているのである。ダライ・ラマの功績なのだろう。

黄色とえんじの法服を着た白人の僧も何人か見かけた。尼僧もいた。肌が白いので坊主がとても目立つのだ。そういえば、帰ってきてから知ったのだが、リチャードギアもチベット仏教徒なのだそうだ。
 

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温かい瞳

翌日早起きして屋上にあがったが 天気が悪くて日の出が見れなかった。
風が強く曇っていてぽつぽつと雨が顔を打つ。山だけあって朝夜は肌寒いが 雨が降ると湿気で体が重くなった様に感じる。屋上の洗濯紐に昨夜から女性の洗濯物が干してあった。
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またぽこぽこが現れたので 雨の所為かも知れないと思い レンズをゴシゴシ拭いたらAFが馬鹿になってカメラが壊れてしまった。
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幸い、雨は長くは続かなかった。部屋でぼーっとしているとゼンが来た。シンフォー達がみんな寺院に行ってるから行かないか?と誘われて向かう。寺の中は人で一杯だった。
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ゼンがシンフォーを探しに色んな子に声を掛けている。この子達はシンフォーの生徒だった。一番後ろの壁際に やっと地べたに座っているシンフォーを見つけた。隣の女性がスペースを空けてくれ 座らせてもらう。みんなお経を唱えている。その間をお坊さんがダンボールを持って回り、お菓子やバナナを配り大きなヤカンでチャイを注いでくれた。チベットのチャイはマサラが入っていないミルクティだ。次々とお坊さんが回ってきて これでもかと食べ物をくれる。私はこんなに貰って良いものかと思った。
ゼンが数珠を貸してくれて マントラを教えてくれた。数珠を両手で持ち 一粒一粒数えながら、OM MANI PEDME HUM(オー・マニ・ペメ・フン)と唱えるのだ。1個数えるのに1回唱えるので早口になる。いつの間にか集中して空っぽになっていた。右前方に板の上で五体投地をする女性がいた。掌を滑らす為に左右に置いてある小さなクッションを使い、全身で祈りを捧げている。彼女を見ていたら、涙が出てきた。もの凄く悲しいのだ。理由は分からない。今も彼女を思い出すと涙が出てくる。
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思わぬ自分の涙に困惑していると、シンフォーが英語の出来る友達を紹介します、彼に色々案内してもらいましょう、とゼンを通して話しかけてくれた。黒いTシャツに黒いハンチングを逆に被った男性が現れて私の前に座った。彼の名前はソナン、彼自身も10年前にヒマラヤを越えてやってきた。彼は私の目をじっと見て なぜ君は泣いているんだと聞く。解らない、彼女を見てたら涙が出てきてとても悲しい。泣く事はないよ、私達は大丈夫だから、と落ち着いた声でゆったりと慰めてくれた。私が喋れないでいるので、彼はここのチベット人の事や信仰について話し続けた。彼の優しさや温かさが伝わってくる。彼の慈愛に満ちた黒い瞳を見ているとスッと落ち着いた。あの瞳は一生忘れないだろう。不思議だった。どうしてそんなに穏やかでいられるの?と聞くと ダライラマのお陰だよと言っていた。

ソナンが寺院の中を案内してくれる。ヒンドゥの派手さから比べると少し落ち着いた感じだが 色使いは日本の寺とは違う。
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青い髪の仏陀
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断食時の仏陀

ソナンと話して いまいち良く解らなかった事が段々見えてきた。
シンフォーはここで学校を作っていた。音楽を教える学校だ。ソナンはそこの先生だった。生活の厳しいチベット難民の子供達が将来に希望を持てずに苦しんでいるのを 何とかしたいとずっと考えていたシンフォーは 学校を訪れて子供達に触れている時このアイデアを思いついたそうだ。チベットスクールは年に2回長い休みがある。それを利用して音楽に興味を持った子供達(中学から高校生)が集まり ギターの弾き方や歌を習っていた。子供達にお金はかからない。資金はシンフォーが台湾でマッサージ(と言っていたが整体だと思う)や中国漢方医療で集めた寄付金でまかなっているのだそう。ソナンはシンフォーを心から尊敬していた。これから学校に行くけど 一緒に来ないかと誘われて皆で行った。ゼンはここに入り浸っていた。ここでもうひとつ誤解が解けた。ゼンは台湾人ではなかった。天津出身の中国人だった。彼はチベットに住んでいた事があって、言ってみれば 中国教育を受けたチベット人と同じだった。ゼンはインドに英語留学で来ていて、偶然シンフォーとバラーナッスィで出会い、一緒にここまで旅をして来たのだった。

この学校では みんな中国語で話している。やはりシンフォーとゼンの中国語は違う。学校は普通のバンガローの様な建物が二棟。先生はもう一人、ブブさんという元気一杯なムードメーカーがいた。ブブは私と同い年だった。先生2人は北京語チベット語英語ヒンディ語を解す。
シンフォーが美味しいお茶をいれてくれて、生徒がご飯を作ってくれた。ちょっと塩を入れすぎてしょっぱかったが なかなか美味しかった。ソナンはすごく食べるのが遅く、ゼンはびっくりする程量を沢山食べる。
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生徒を集めて話をするシンフォー。左の奥はソナン、手前がゼン。
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あの瞳のソナンとギター
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夜、中国青海省地震が何日か前に起きていた事を知った。
あの女性の悲しみがどこから来ていたのか解ったような気がした。

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マクロードガンジー

早速ダライラマ寺院に行く。いきなり入れなかった。中はワサワサした雰囲気。法話か何かあったのだろう。午後から入れるから午後にまた来なさいと言われた。
ルンタという日本食レストランでおにぎりと味噌汁を食べる。日本人男子学生3人と合席して情報交換する。彼らにインドは新鮮に映っている様で 楽しそうにしている彼らが何ともかわいらしく感じた。20代の男性に対し、母の心持ちでいる自分に愕然とする。外見だけでなく中身も老けてきたなぁ。
午後にまた寺院に向かう。金属探知機を通り、バックの中を見せて入る。

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最初の門を入った所。尼僧達。彼女達はここには住んでいない。物乞いもいる。

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殉教者メモリアル。この先の上がった所にセキュリティチェックがある。

寺院の奥にダライラマ公邸がある。白い門があってセキュリティが常駐している。フランス人女性がインド人ガイド青年を連れて喋りながら近づいて来た。このガイド、フランス語がとても上手なのにビックリした。彼らの会話から 今朝はクリケットのナショナルチームがダライラマに謁見に来ていた事が分かった。そして現在ダライラマは公邸にいて、夕方に試合を観に球場に行く予定なんだそうだ。もしかしたら待っていれば会えるかもしれないねと言っていた。

広場の横に図書室みたいな建物があり、そこでアマチュアカメラマンによるチベット写真展がやっていた。特にどうって事はなかったのだが 1枚だけ気になる写真があった。14、5歳のチベット僧が2人 大きな銃を持ち銃口をこちらに向けてポーズを取っていた。ゲームのヒーローみたいな表情だった。

広場に座っていると 夜行バスの前席に座っていた二人組にまた会った。一緒に座ってお喋りをしていると、写真展の主催者が韓国人だと分かった。さっき私が10ルピー払った相手2人がその主催者で 中から出てきて一緒に座ってお喋りに加わる。彼らは若い夫婦で無償でダラムシャーラーに6ヶ月間滞在していた。奥さんはチベットの美しい民族衣装を着ていた。ネパールで600ルピーで作ったそうだ。
ダライラマはどんな人か聞くと、意外と普通のおっさんだそうだ。彼らも最初はもっとカリスマティックな近寄りがたい人かと思っていた。しかし、話をしてみると とても人間的な人らしい。これは日本でもそう聞いたことがあった。もうお年なのに、今でも意欲的に忙しいスケジュールをこなしている。私がインドにいる間も あっちこちでダライラマにニアミスをしていた。リシケシュの後はデリーに行っていて つい昨日ダラムシャーラーに戻られたそう。常に命の危険にさらされていて、セキュリティーはかなり厳しい。最近、食事に毒が盛られる事件があったそう。確かに今日は公邸にいるけど、会えるかどうかは分からないよ、公邸はず~っと奥に広いから別の出口から出るんじゃない?と教えてくれた。夫婦は建物の中からピザを持ってきて 一切れ食べる?と分けてくれた。毒はないから・・・って(笑)
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写真を撮らせてくれた尼僧。ダライラマに似てる。

暫く待ったが出て来そうに無いので 4人に挨拶して寺を出る。ツーリスト向けの土産店の並ぶ道をブラブラする。インド人が声を掛けてきた。チベット絵画を売っている店のオーナーで 中に入ってお茶でも飲まないかと誘われる。暇なので話し相手になる。店は4坪位でデスクに椅子が二つ、お使いの男の子がチャイを持ってきてくれる。チャイと一緒に煙草も勧められる。ここは喫煙所が無いからね、どうぞ好きなだけとってねと言う。彼は父がインド人、母がネパール人で家族はネパールにいるそうだ。言われて良~く見ると 彼の顔はインドが薄かった。中々頭の良い人で 話も面白かった。

すると店に若いカップルが入ってきた。チベット絵画に興味を持っていて、色々見せて欲しいとの事。どうぞ、どうぞと場所を空ける。彼は私とお喋りしながらも商品を次々と広げる。そのカップルはそんなにお金を持って無さそうだったが、分からないもんなぁ。結局このカップルも一緒に座ってお喋りに加わった。彼はイギリス人、瞳がとても薄いブルーで髪はブロンドだった。彼女もインド系イギリス人で長い黒髪を後ろで1つに結わえた美人だった。なかなかラフな格好で 2人共とても細かった。
店主は彼らの国籍を聞いて 知ってるか?イギリスで火山が爆発したぞ!火山灰で飛行機が飛ばないから みんなヨーロッパには帰れないぞ!と言う。は!?火山が爆発?何だそれ?イギリスに火山なんて無いぞ!? そうよねえ~と私。 本当だよ、今ニュースはその話で一杯だよ。 はぁ~!?何だそれ!?ニュースは見てないけど、後で何が起こったのかネットでチェックするよ。 いつ帰る予定なの?暫く帰る予定はないよ。じゃあ大丈夫よ、いいなあ羨ましい。結局、彼らは何も買わずに店を出た。その後も私は店主の恋愛相談を聞いてから 明日のランチの誘いを断って店を後にした。

道端でジャスミンとジュオンにばったり会う。2人はここで恵美子さんにも会ったそうだ。ジャスミンにパルモスからの伝言をしっかり伝える。どうすんの?可能性はあるの?ジャスミンは笑いながらも首を横に振る。ありえないよね。うん、無理だよ。そっか、でも一応伝えたよ!何にしても電話してごらん、と言って別れる。

夕食はチベットの蒸し餃子、モモを食べた。なかなか美味しかった。
GHに戻って屋上にあがってみた。朝と違い、三日月と星が美しく神秘的だ。イギリス人のおばさんが座っていたので声を掛けた。彼女はここでチベット難民に英語を教えているそうだ。彼女によると、ここでもチベット難民の状況はかなり厳しく、命を懸けてヒマラヤを越えて来ても仕事は無いのだ。観光客相手の仕事には英語が必要不可欠なので 少しでも彼らの役に立てればと思っているそう。問題はそれだけではなく、山を越えてきた若者は中国政府の教育を受けている者が殆どの様だ。亡命してきたとしても チベット政府としてチベット語はもちろん 失われつつあるチベット文化の再教育をする必要があるらしい。それには大変なお金と時間がかかるそうだ。彼女の生徒の中には 水道の無い狭い部屋に11人でギュウギュウ詰めになって生活している人がいる。食事は何とかなるそうだが 朝、湖まで出かけて身体を洗っているそうだ。彼女はひと通り熱く語り、ここの景色は素晴らしいわよ、早朝ここに上がって朝日を見なさいと言った。

 

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インドの中のチベット

中国人がダラムシャーラー??最初変だなっと思ったのだが、台湾人なら納得だ。ダラムシャーラーは、中国に弾圧され ヒマラヤを越えて亡命して来たチベット難民が集まって暮らしている街だからだ。正確には、ダラムシャーラーの町から 標高500m高い山の中腹のマクロードガンジーという所に彼らは居住している。丘の上にダライ・ラマの法主公邸もある。

バスターミナルで知り合ったゼンは日本人に見える若者だ。めずらしい。中国人は大体見分けられるのだが・・・。もう1人は50代くらいの小柄な男性で英語はあまり出来ないが ダラムシャーラーには仕事で良く来ているようだ。ゼンが彼をシンフォー(先生)と呼ぶので私もシンフォーと呼ぶ。彼らはたまたまバラナッスィで知り合ったそうだ。
A/C付きバス390ルピー、一番後ろの席を確保した。このバスはデラドゥン経由のバスで 既に睡眠中の客が沢山乗っていた。乗れてラッキーだった。しかし、残念ながら私の席はリクライニングが壊れていて、前の席には2人組みのアジア系女子が、席をマキシマム倒して眠っている。膝の上に前の席が乗ってる感じだ。なかなか辛い姿勢を強いられる羽目になった。
トイレ休憩になり 身体を伸ばす為に降りる。トイレは汚くて酷かった。トイレットペーパーを手持ちのバックに入れておいて良かった。足の踏み場も無かったので ペーパーを敷いた上に足を乗せた。もうなかなか慣れたもんである。売店があったのでチャイを飲んでたら 2人も降りてきた。バスのエンジンがかかるまで 暗い駐車場でチャイを楽しむ。再びバスに乗り込む時、アジア系ツーリストが多いことに気付く。私の前席女子は韓国人だった。インドには韓国人が結構多い。

早朝ダラムシャーラーに着いた。山の空気がとても爽やかで景色も美しい。
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ヒマラヤを望む景色

少し肌寒かった。まだ早い為 マクロードガンジー行きのバスが無い。いつのまにかターミナルには 私達3人に前の席にいた韓国女子2人、別グループの韓国女子4人だけになった。前席の2人は色白の若い女性(10代にも見える!)と 大阪のおばさん風味の超~元気な女性。色白の若い子の方が私に マクロードガンジーにはどうやって行くのですか?と聞いてきた。わからないんです、と答えて 頼みの綱のシンフォーに聞くと、じゃあ、みなさん乗り合いリクシャーで行きましょうと いきなりターミナル裏の坂を昇り始めた。寝起きでバックパックで昇るにはかなりキツい。キツくてブーブー言う事も出来ない。空気も薄いんじゃないかなあ。久々に肺が痛くなるくらいハーハーいった。シンフォーは見かけによらずスイスイ昇り 見失わなかったが付いては行けなかった。ゼンは私に追い越された。元気な彼女が、あなたは何人?と聞く。私は日本人、彼らは中国人。中国人?なぜ中国人が??あ、台湾出身みたいですよ、ダラムシャーラーでお仕事してるとか。あ~そうっか!おかしいなぁ~って思ってたのよ~!!彼女の喋り方とかリアクションがすっごく面白くて、それからも街中で出会う度にお喋りした。

上に着くと、道幅がほんの少し広いリクシャー乗り場があって そこで各グループ毎にリクシャーを取る。シンフォーがリクシャーの相場を知っていたのでみんな現地価格で行けた。リクシャーが狭い坂道をエンジンをうならせ 昇っていく。

ダラムシャーラーでは 同郷のしげが良かったよと言っていたレディスベンチャーGHに泊まろうと思っていた。シンフォーは仕事先の事務所に行くと言っていて、ゼンはまだ何も決めてないようだった。取りあえずそのGH近くで降りて、シンフォーに荷物を見ていてもらい 受付へ。誰もいなかった。声を掛け続けたら眠そうな男性が出てきて 今日は一杯だよ、チェックアウトが済んだら空くかも知れないから12時過ぎにまたおいで、と言われる。並んでいる隣のペンションみたいなGHにも当たってみる。しかしレセプションがどこにあるか分からなかった。一階正面のドアをノックする。返事が無い。ゼンが声を掛ける。中から男性が出てきた。すみませんがこちらのGHに泊まりたいんだけど お部屋開いてますか?彼はレセプションはあっちです、と5M先のトタンでできた小さい建物を指差した。ああ、彼は日本人ツーリストに間違いない!ただの宿泊部屋を叩いて彼を起こしてしまったのだ。邪魔をしてごめんなさい、彼がドアを閉めるまで英語で通した。あああ~本当すみません。まだ朝の6時だった。

結局、まだどこも開いてないし どうだろう?僕の知ってるところに朝ご飯を食べに行かないか、とシンフォーが言う。賛成。彼の知っているという店はチベット僧が営業するホテル兼レストランだった。しかしまだ営業時間外。僧侶達はみな中国語で ゼンとシンフォーと会話する。よ~く聞いてると、ゼンとシンフォーの中国語は音が違っていた。ゼンはインドに来る前に チベットに5ヶ月間住んでいたらしい。荷物だけそのレストランに置かせてもらって外に出る。マクロードガンジーの中心広場に出る。実はマクロードガンジーまで上がってくる長距離バスもあって 広場にはバスから降りたツーリストが続々降りてきた。
そこには毎朝手作りのチベットパンやドーナツを売りに来る女性が固まって座っている。みんな私達と同じ顔。ここはインドだがインドじゃない。彼らは一様に日焼けしていて 中国というより、内モンゴルにいるような気分だった。シンフォーがドーナツとチベットパンを買って分けてくれた。少し入った、駐車場の上にチャイ屋が並んでいてそこで美味しいチャイとドーナツをいただく。このドーナツがとっても美味しい。多分小麦粉が違うのだろう。私はそれから何回か彼女のドーナツを買った。

レストランに戻ると、同じくチベット僧の経営する安いGHがあるから とシンフォーが連れて行ってくれた。1部屋のみ一泊230ルピーの部屋があった。シンフォーが君はラッキーだという。部屋を見せてもらい、そこに決める。
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この窓から見える景色が右の写真です。この屋根の上を猿が走り回る。


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GHの屋上から見渡す景色

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朝日が眩しく光る。
 

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チャンディーガル

チャンディーガルは新しい街だ。発展してから50年余りだそうだ。外国IT企業が多く進出しており、都市開発をしたフランス人建築家ル・コルビュジェの建築群と、近代的で新しい大きなビルが沢山建っていた。ジャイはそれらを心から誇りに思っていた。古い寺院は1つあるだけで 他に歴史的な建物は無い。近代美術館と、大きな病院、大学、それとこれまたメチャメチャ大きくて新しいショッピングセンター。ブランドショップが並んでいる。道路は全て2車線以上、丸い交差点(ヨーロッパ風、何て言うの?)には木や花、近代アートオブジェなどが飾られている。いわゆるここは新しい裕福層の街である。インド一 生活水準が高いらしい。それでもやっぱり道路に牛がいたり、低カーストのバラック集落を見かけた。でも、唯一インドらしいのはそこ、牛と集落と民族服を着たインド人だった。それらを見なければまるでハリウッドだ。ちょっと言い過ぎたか。

バラックを過ぎて少し行くと お屋敷の立ち並ぶ一角へ。ジャイの家に着いた。どビックリ。大きい。呼び鈴を押すと オートマティックの洒落た門をメイドさんが開けてくれる。噴水があり、もう1人若いメイドさんが荷物を部屋に運んでくれる。他に男性が1人常駐で働いているそうだ。っていうか、ダラムシャーラーは??聞いてくれ、これから家でシャワーを浴びて昼食を取ろう。そしてバスの時間を調べて 少し休みなさい。その後、チャンディーガルの街を見せてあげよう。特に興味ないんだけど・・・、なぜだ!? ジャイの抑圧的な物言いに嫌気が差してくる。新しい街に興味は無いと答える。古い街も作られた時は新しいのだと返される。そうだけどさ、ここに来るつもり無かったし 新しい街なら沢山見てるもの、と言う。

とにかく時間はまだある。お腹も空いたし、食事を用意してくれたメイドさんのご好意に甘える。ジャイは先にシャワーを浴びろと言う。軽くイラッとしながら通された部屋に付いているバスルームでシャワーを浴びる。食事をしながら見ていると、ジャイがメイド達にとても威厳のある態度を取っているのに気付いた。彼らもジャイを心からリスペクトしている。ここだけじゃない。ニケタンでも尊敬されていた。彼の抑圧的な物言いはここから、彼の社会的地位から来ているのであった。でも私はインド人じゃなかった。

食事を終え、家を見せてもらう。今、娘さんは寄宿学校に入っている。家は他に2件持っているそう。庭には自慢のマンゴーやバナナやベリーなどが茂っており、どこの窓からも緑が見える。地下には診察室、二階には客室が3部屋、それぞれの階に瞑想室があって奥さんの写真が飾ってあった。彼女を亡くした時は辛かったんだろうなと思う。屋上のデッキチェアに腰を下ろし話をする。ジャイは洗濯物の様子を見に上がってきたメイドさんを呼び、日本について語る。日本という国は全く、大国である。このメイドさんは15年もジャイ家にいるそうだ。とても働き者で 常に動いており、休めと言っても365日全く休まないらしい。優しい目をした奥ゆかしい女性だった。

下に降り、少し休みなさいと言われる。着替えを整理しているとジャイが部屋に入ってきた。私の横に座り、一緒にベットに休もうと言う。それは出来ないよ。なぜだ?君は離婚していて私には妻がいない、問題はないからいいじゃないか。手を握り、頬にキスをしてくる。そんなのは理由にならないでしょ、私にはまだそういう準備が出来ていない(嘘!)と答える。君はトイレの時、私から全く見えなくなるまで遠くに行って隠れて用を済ませた、昔のインド女性みたいだ(そんなとこを気に入ったのか!)、君は正直 したくはならないのか?うん、したくなる事はあるけど 今は旅の途中で疲れているし、そんな気持ちは全くないです、どうか私の意志を尊重して下さいと 静かにきっぱりと良心に訴えた。それでもしつこくされたら、あなたが好きじゃないとはっきり言って ここを出るつもりだった。
彼はそこは紳士的だった。解った、じゃ、ここで休みなさい、起きるまで誰も入らない様にしておくからと言い、ハグをして部屋を出て行ってくれた。

3時頃に眠ってしまい 起きたら6時だった。あ~私って本当に神経が太い!
ジャイが 遅いぞ、もう夜になっちゃったじゃないか!と怒る。これじゃチャンディーガルの街が見えない、ここに泊まって行きなさい。無理!絶対今夜発ちます、バス停まで送ってください。そうか、じゃあ時間まで街をドライブしてから食事をしてバス停まで送ろう、という事になった。全く君はなぜ僕の誘いを断るんだ!っと まるで子供にする様に 頬を摘んで引っ張られる。私は照れ笑いをした。

湖を散歩してたら、ジャイの電話が鳴った。ちょっと悪いけどここで待っていてくれないか?といって離れていった。暫く1人で座っているとスィクの男性が とても礼儀正しく声を掛けてきた。私も礼儀正しくお話をした。悪いけど ヨガの先生と一緒に来てるから、と言うと、連れがいるんだね、分かりました、話せて良かった、と彼は離れていった。知らない男性と話している所をジャイが見たら きっと怒るんだろうな。

言っておくが、決して私はモテる方ではないと思う。外国において日本人であるという事はとても大きい。特に貧しい国では大きいのだ。ジャイみたいな人は 私が日本人で無かったら態度が違うだろう。私の魅力だけではこうは行かない筈だ。あとは、少し言葉が出来るというのが 彼らの好奇心を満たすのに役立っているとは思う。本当に日本は大国である。
ジャイが戻り、食事はどうする?と聞く。お腹空いてないからこのままバス停に連れて行って欲しいと頼む。バスターミナルは大きかった。新しい空港みたいに綺麗だった。ダラムシャーラー行きの出るバス停まで連れて行ってもらう。10:50発だった。まだ時間があった。ベンチに座り、私の電話番号を教えてくれと言う。番号をあげると 嘘の番号じゃないよね?と言う。今かけたらこの携帯が鳴るよ。分かった、ダラムシャーラーに着いたら私に連絡してくれ、と名刺をくれた。

もう、正直 彼と離れたかった。少し離れたベンチに 東洋人男性2人見つける。彼らはきっと日本人だから声掛けてくるね、とジャイを離れる。
あの、ダラムシャーラーに行くんですか?そうです。日本人ですか?いえ、中国人です、友達は台湾人です。私もダラムシャーラーに行くんですけど、夜だし独りだから暫く一緒にいてくれませんか?もちろん!
ヤッタ!!

急いでジャイの所に戻り、彼らと一緒にバスを待つから もうここでいいです。
大丈夫か?はい、ありがとうございました、どうぞお帰り下さい。じゃあ、キスをしてくれ。
へっ??? う~~ん仕方あるまい。頬にキスしたら、唇にキスをされた。
こんのぉ~スケベ親父めっ!!
ジャイの名刺、写真、チャンディーガルのマップを破棄した事は言うまでもない。

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プロフィール

HN:
HIROMI
HP:
性別:
女性
職業:
自営業
趣味:
自己紹介:
早稲田にてアートメイクサロンをしています。出張もするよ~♪興味があったらご連絡ください。バックパックの旅が大好き。息子達を放ってふらっと旅に出ます。ふふふ。

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