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アートメイクサロン“La paresseuse”の技術者 HIROMIの日記です。旅日記や、日々思ったり感じたりしている事を書いていこうと思います。どうぞ おつきあい下さいね☆ 

La Paresseuse BLOG

   

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温かい瞳

翌日早起きして屋上にあがったが 天気が悪くて日の出が見れなかった。
風が強く曇っていてぽつぽつと雨が顔を打つ。山だけあって朝夜は肌寒いが 雨が降ると湿気で体が重くなった様に感じる。屋上の洗濯紐に昨夜から女性の洗濯物が干してあった。
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またぽこぽこが現れたので 雨の所為かも知れないと思い レンズをゴシゴシ拭いたらAFが馬鹿になってカメラが壊れてしまった。
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幸い、雨は長くは続かなかった。部屋でぼーっとしているとゼンが来た。シンフォー達がみんな寺院に行ってるから行かないか?と誘われて向かう。寺の中は人で一杯だった。
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ゼンがシンフォーを探しに色んな子に声を掛けている。この子達はシンフォーの生徒だった。一番後ろの壁際に やっと地べたに座っているシンフォーを見つけた。隣の女性がスペースを空けてくれ 座らせてもらう。みんなお経を唱えている。その間をお坊さんがダンボールを持って回り、お菓子やバナナを配り大きなヤカンでチャイを注いでくれた。チベットのチャイはマサラが入っていないミルクティだ。次々とお坊さんが回ってきて これでもかと食べ物をくれる。私はこんなに貰って良いものかと思った。
ゼンが数珠を貸してくれて マントラを教えてくれた。数珠を両手で持ち 一粒一粒数えながら、OM MANI PEDME HUM(オー・マニ・ペメ・フン)と唱えるのだ。1個数えるのに1回唱えるので早口になる。いつの間にか集中して空っぽになっていた。右前方に板の上で五体投地をする女性がいた。掌を滑らす為に左右に置いてある小さなクッションを使い、全身で祈りを捧げている。彼女を見ていたら、涙が出てきた。もの凄く悲しいのだ。理由は分からない。今も彼女を思い出すと涙が出てくる。
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思わぬ自分の涙に困惑していると、シンフォーが英語の出来る友達を紹介します、彼に色々案内してもらいましょう、とゼンを通して話しかけてくれた。黒いTシャツに黒いハンチングを逆に被った男性が現れて私の前に座った。彼の名前はソナン、彼自身も10年前にヒマラヤを越えてやってきた。彼は私の目をじっと見て なぜ君は泣いているんだと聞く。解らない、彼女を見てたら涙が出てきてとても悲しい。泣く事はないよ、私達は大丈夫だから、と落ち着いた声でゆったりと慰めてくれた。私が喋れないでいるので、彼はここのチベット人の事や信仰について話し続けた。彼の優しさや温かさが伝わってくる。彼の慈愛に満ちた黒い瞳を見ているとスッと落ち着いた。あの瞳は一生忘れないだろう。不思議だった。どうしてそんなに穏やかでいられるの?と聞くと ダライラマのお陰だよと言っていた。

ソナンが寺院の中を案内してくれる。ヒンドゥの派手さから比べると少し落ち着いた感じだが 色使いは日本の寺とは違う。
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青い髪の仏陀
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断食時の仏陀

ソナンと話して いまいち良く解らなかった事が段々見えてきた。
シンフォーはここで学校を作っていた。音楽を教える学校だ。ソナンはそこの先生だった。生活の厳しいチベット難民の子供達が将来に希望を持てずに苦しんでいるのを 何とかしたいとずっと考えていたシンフォーは 学校を訪れて子供達に触れている時このアイデアを思いついたそうだ。チベットスクールは年に2回長い休みがある。それを利用して音楽に興味を持った子供達(中学から高校生)が集まり ギターの弾き方や歌を習っていた。子供達にお金はかからない。資金はシンフォーが台湾でマッサージ(と言っていたが整体だと思う)や中国漢方医療で集めた寄付金でまかなっているのだそう。ソナンはシンフォーを心から尊敬していた。これから学校に行くけど 一緒に来ないかと誘われて皆で行った。ゼンはここに入り浸っていた。ここでもうひとつ誤解が解けた。ゼンは台湾人ではなかった。天津出身の中国人だった。彼はチベットに住んでいた事があって、言ってみれば 中国教育を受けたチベット人と同じだった。ゼンはインドに英語留学で来ていて、偶然シンフォーとバラーナッスィで出会い、一緒にここまで旅をして来たのだった。

この学校では みんな中国語で話している。やはりシンフォーとゼンの中国語は違う。学校は普通のバンガローの様な建物が二棟。先生はもう一人、ブブさんという元気一杯なムードメーカーがいた。ブブは私と同い年だった。先生2人は北京語チベット語英語ヒンディ語を解す。
シンフォーが美味しいお茶をいれてくれて、生徒がご飯を作ってくれた。ちょっと塩を入れすぎてしょっぱかったが なかなか美味しかった。ソナンはすごく食べるのが遅く、ゼンはびっくりする程量を沢山食べる。
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生徒を集めて話をするシンフォー。左の奥はソナン、手前がゼン。
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あの瞳のソナンとギター
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夜、中国青海省地震が何日か前に起きていた事を知った。
あの女性の悲しみがどこから来ていたのか解ったような気がした。

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マクロードガンジー

早速ダライラマ寺院に行く。いきなり入れなかった。中はワサワサした雰囲気。法話か何かあったのだろう。午後から入れるから午後にまた来なさいと言われた。
ルンタという日本食レストランでおにぎりと味噌汁を食べる。日本人男子学生3人と合席して情報交換する。彼らにインドは新鮮に映っている様で 楽しそうにしている彼らが何ともかわいらしく感じた。20代の男性に対し、母の心持ちでいる自分に愕然とする。外見だけでなく中身も老けてきたなぁ。
午後にまた寺院に向かう。金属探知機を通り、バックの中を見せて入る。

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最初の門を入った所。尼僧達。彼女達はここには住んでいない。物乞いもいる。

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殉教者メモリアル。この先の上がった所にセキュリティチェックがある。

寺院の奥にダライラマ公邸がある。白い門があってセキュリティが常駐している。フランス人女性がインド人ガイド青年を連れて喋りながら近づいて来た。このガイド、フランス語がとても上手なのにビックリした。彼らの会話から 今朝はクリケットのナショナルチームがダライラマに謁見に来ていた事が分かった。そして現在ダライラマは公邸にいて、夕方に試合を観に球場に行く予定なんだそうだ。もしかしたら待っていれば会えるかもしれないねと言っていた。

広場の横に図書室みたいな建物があり、そこでアマチュアカメラマンによるチベット写真展がやっていた。特にどうって事はなかったのだが 1枚だけ気になる写真があった。14、5歳のチベット僧が2人 大きな銃を持ち銃口をこちらに向けてポーズを取っていた。ゲームのヒーローみたいな表情だった。

広場に座っていると 夜行バスの前席に座っていた二人組にまた会った。一緒に座ってお喋りをしていると、写真展の主催者が韓国人だと分かった。さっき私が10ルピー払った相手2人がその主催者で 中から出てきて一緒に座ってお喋りに加わる。彼らは若い夫婦で無償でダラムシャーラーに6ヶ月間滞在していた。奥さんはチベットの美しい民族衣装を着ていた。ネパールで600ルピーで作ったそうだ。
ダライラマはどんな人か聞くと、意外と普通のおっさんだそうだ。彼らも最初はもっとカリスマティックな近寄りがたい人かと思っていた。しかし、話をしてみると とても人間的な人らしい。これは日本でもそう聞いたことがあった。もうお年なのに、今でも意欲的に忙しいスケジュールをこなしている。私がインドにいる間も あっちこちでダライラマにニアミスをしていた。リシケシュの後はデリーに行っていて つい昨日ダラムシャーラーに戻られたそう。常に命の危険にさらされていて、セキュリティーはかなり厳しい。最近、食事に毒が盛られる事件があったそう。確かに今日は公邸にいるけど、会えるかどうかは分からないよ、公邸はず~っと奥に広いから別の出口から出るんじゃない?と教えてくれた。夫婦は建物の中からピザを持ってきて 一切れ食べる?と分けてくれた。毒はないから・・・って(笑)
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写真を撮らせてくれた尼僧。ダライラマに似てる。

暫く待ったが出て来そうに無いので 4人に挨拶して寺を出る。ツーリスト向けの土産店の並ぶ道をブラブラする。インド人が声を掛けてきた。チベット絵画を売っている店のオーナーで 中に入ってお茶でも飲まないかと誘われる。暇なので話し相手になる。店は4坪位でデスクに椅子が二つ、お使いの男の子がチャイを持ってきてくれる。チャイと一緒に煙草も勧められる。ここは喫煙所が無いからね、どうぞ好きなだけとってねと言う。彼は父がインド人、母がネパール人で家族はネパールにいるそうだ。言われて良~く見ると 彼の顔はインドが薄かった。中々頭の良い人で 話も面白かった。

すると店に若いカップルが入ってきた。チベット絵画に興味を持っていて、色々見せて欲しいとの事。どうぞ、どうぞと場所を空ける。彼は私とお喋りしながらも商品を次々と広げる。そのカップルはそんなにお金を持って無さそうだったが、分からないもんなぁ。結局このカップルも一緒に座ってお喋りに加わった。彼はイギリス人、瞳がとても薄いブルーで髪はブロンドだった。彼女もインド系イギリス人で長い黒髪を後ろで1つに結わえた美人だった。なかなかラフな格好で 2人共とても細かった。
店主は彼らの国籍を聞いて 知ってるか?イギリスで火山が爆発したぞ!火山灰で飛行機が飛ばないから みんなヨーロッパには帰れないぞ!と言う。は!?火山が爆発?何だそれ?イギリスに火山なんて無いぞ!? そうよねえ~と私。 本当だよ、今ニュースはその話で一杯だよ。 はぁ~!?何だそれ!?ニュースは見てないけど、後で何が起こったのかネットでチェックするよ。 いつ帰る予定なの?暫く帰る予定はないよ。じゃあ大丈夫よ、いいなあ羨ましい。結局、彼らは何も買わずに店を出た。その後も私は店主の恋愛相談を聞いてから 明日のランチの誘いを断って店を後にした。

道端でジャスミンとジュオンにばったり会う。2人はここで恵美子さんにも会ったそうだ。ジャスミンにパルモスからの伝言をしっかり伝える。どうすんの?可能性はあるの?ジャスミンは笑いながらも首を横に振る。ありえないよね。うん、無理だよ。そっか、でも一応伝えたよ!何にしても電話してごらん、と言って別れる。

夕食はチベットの蒸し餃子、モモを食べた。なかなか美味しかった。
GHに戻って屋上にあがってみた。朝と違い、三日月と星が美しく神秘的だ。イギリス人のおばさんが座っていたので声を掛けた。彼女はここでチベット難民に英語を教えているそうだ。彼女によると、ここでもチベット難民の状況はかなり厳しく、命を懸けてヒマラヤを越えて来ても仕事は無いのだ。観光客相手の仕事には英語が必要不可欠なので 少しでも彼らの役に立てればと思っているそう。問題はそれだけではなく、山を越えてきた若者は中国政府の教育を受けている者が殆どの様だ。亡命してきたとしても チベット政府としてチベット語はもちろん 失われつつあるチベット文化の再教育をする必要があるらしい。それには大変なお金と時間がかかるそうだ。彼女の生徒の中には 水道の無い狭い部屋に11人でギュウギュウ詰めになって生活している人がいる。食事は何とかなるそうだが 朝、湖まで出かけて身体を洗っているそうだ。彼女はひと通り熱く語り、ここの景色は素晴らしいわよ、早朝ここに上がって朝日を見なさいと言った。

 

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参院選

先日 参院選候補者ポスター掲示板を見て、

あれ?っと思った顔があって 

調べたら やっぱりご本人でした。

アムネスティインターナショナルにお手伝いに行ってた時、職員だった森原秀樹さんだ。

http://morihara-hideki.jp/

全然変わらないな~。相変わらず野心的だ。

当時も アムネスティの事務局長に立候補していたな。落ちちゃったけど。


もう1人、同じく職員だった方が 

何年か前に福島瑞穂さんの秘書になったって聞いてたけど 

森原さんが社民党で立候補するとは思わなかったな。

子供2人出来たんだ~!!


へぇ~、参院選どうしよっかなぁ。


皆さんはもう決めましたか?

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インドの中のチベット

中国人がダラムシャーラー??最初変だなっと思ったのだが、台湾人なら納得だ。ダラムシャーラーは、中国に弾圧され ヒマラヤを越えて亡命して来たチベット難民が集まって暮らしている街だからだ。正確には、ダラムシャーラーの町から 標高500m高い山の中腹のマクロードガンジーという所に彼らは居住している。丘の上にダライ・ラマの法主公邸もある。

バスターミナルで知り合ったゼンは日本人に見える若者だ。めずらしい。中国人は大体見分けられるのだが・・・。もう1人は50代くらいの小柄な男性で英語はあまり出来ないが ダラムシャーラーには仕事で良く来ているようだ。ゼンが彼をシンフォー(先生)と呼ぶので私もシンフォーと呼ぶ。彼らはたまたまバラナッスィで知り合ったそうだ。
A/C付きバス390ルピー、一番後ろの席を確保した。このバスはデラドゥン経由のバスで 既に睡眠中の客が沢山乗っていた。乗れてラッキーだった。しかし、残念ながら私の席はリクライニングが壊れていて、前の席には2人組みのアジア系女子が、席をマキシマム倒して眠っている。膝の上に前の席が乗ってる感じだ。なかなか辛い姿勢を強いられる羽目になった。
トイレ休憩になり 身体を伸ばす為に降りる。トイレは汚くて酷かった。トイレットペーパーを手持ちのバックに入れておいて良かった。足の踏み場も無かったので ペーパーを敷いた上に足を乗せた。もうなかなか慣れたもんである。売店があったのでチャイを飲んでたら 2人も降りてきた。バスのエンジンがかかるまで 暗い駐車場でチャイを楽しむ。再びバスに乗り込む時、アジア系ツーリストが多いことに気付く。私の前席女子は韓国人だった。インドには韓国人が結構多い。

早朝ダラムシャーラーに着いた。山の空気がとても爽やかで景色も美しい。
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ヒマラヤを望む景色

少し肌寒かった。まだ早い為 マクロードガンジー行きのバスが無い。いつのまにかターミナルには 私達3人に前の席にいた韓国女子2人、別グループの韓国女子4人だけになった。前席の2人は色白の若い女性(10代にも見える!)と 大阪のおばさん風味の超~元気な女性。色白の若い子の方が私に マクロードガンジーにはどうやって行くのですか?と聞いてきた。わからないんです、と答えて 頼みの綱のシンフォーに聞くと、じゃあ、みなさん乗り合いリクシャーで行きましょうと いきなりターミナル裏の坂を昇り始めた。寝起きでバックパックで昇るにはかなりキツい。キツくてブーブー言う事も出来ない。空気も薄いんじゃないかなあ。久々に肺が痛くなるくらいハーハーいった。シンフォーは見かけによらずスイスイ昇り 見失わなかったが付いては行けなかった。ゼンは私に追い越された。元気な彼女が、あなたは何人?と聞く。私は日本人、彼らは中国人。中国人?なぜ中国人が??あ、台湾出身みたいですよ、ダラムシャーラーでお仕事してるとか。あ~そうっか!おかしいなぁ~って思ってたのよ~!!彼女の喋り方とかリアクションがすっごく面白くて、それからも街中で出会う度にお喋りした。

上に着くと、道幅がほんの少し広いリクシャー乗り場があって そこで各グループ毎にリクシャーを取る。シンフォーがリクシャーの相場を知っていたのでみんな現地価格で行けた。リクシャーが狭い坂道をエンジンをうならせ 昇っていく。

ダラムシャーラーでは 同郷のしげが良かったよと言っていたレディスベンチャーGHに泊まろうと思っていた。シンフォーは仕事先の事務所に行くと言っていて、ゼンはまだ何も決めてないようだった。取りあえずそのGH近くで降りて、シンフォーに荷物を見ていてもらい 受付へ。誰もいなかった。声を掛け続けたら眠そうな男性が出てきて 今日は一杯だよ、チェックアウトが済んだら空くかも知れないから12時過ぎにまたおいで、と言われる。並んでいる隣のペンションみたいなGHにも当たってみる。しかしレセプションがどこにあるか分からなかった。一階正面のドアをノックする。返事が無い。ゼンが声を掛ける。中から男性が出てきた。すみませんがこちらのGHに泊まりたいんだけど お部屋開いてますか?彼はレセプションはあっちです、と5M先のトタンでできた小さい建物を指差した。ああ、彼は日本人ツーリストに間違いない!ただの宿泊部屋を叩いて彼を起こしてしまったのだ。邪魔をしてごめんなさい、彼がドアを閉めるまで英語で通した。あああ~本当すみません。まだ朝の6時だった。

結局、まだどこも開いてないし どうだろう?僕の知ってるところに朝ご飯を食べに行かないか、とシンフォーが言う。賛成。彼の知っているという店はチベット僧が営業するホテル兼レストランだった。しかしまだ営業時間外。僧侶達はみな中国語で ゼンとシンフォーと会話する。よ~く聞いてると、ゼンとシンフォーの中国語は音が違っていた。ゼンはインドに来る前に チベットに5ヶ月間住んでいたらしい。荷物だけそのレストランに置かせてもらって外に出る。マクロードガンジーの中心広場に出る。実はマクロードガンジーまで上がってくる長距離バスもあって 広場にはバスから降りたツーリストが続々降りてきた。
そこには毎朝手作りのチベットパンやドーナツを売りに来る女性が固まって座っている。みんな私達と同じ顔。ここはインドだがインドじゃない。彼らは一様に日焼けしていて 中国というより、内モンゴルにいるような気分だった。シンフォーがドーナツとチベットパンを買って分けてくれた。少し入った、駐車場の上にチャイ屋が並んでいてそこで美味しいチャイとドーナツをいただく。このドーナツがとっても美味しい。多分小麦粉が違うのだろう。私はそれから何回か彼女のドーナツを買った。

レストランに戻ると、同じくチベット僧の経営する安いGHがあるから とシンフォーが連れて行ってくれた。1部屋のみ一泊230ルピーの部屋があった。シンフォーが君はラッキーだという。部屋を見せてもらい、そこに決める。
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この窓から見える景色が右の写真です。この屋根の上を猿が走り回る。


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GHの屋上から見渡す景色

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朝日が眩しく光る。
 

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レンタルチャイルド

ちょっと旅日記は休憩。。。

友達に紹介してもらった本です。

「レンタルチャイルド」
http://allatanys.jp/C004/L0008M0060S1043TE004.html


とても面白そうだったので 早速本屋でチェックしました。
単行本になっていた「物乞う仏陀」だけ買ってきました。

年老いた物乞いが赤ちゃんを抱いているのはヨーロッパでも見た事があります。
単純に孫なんだって思ってました。ジプシーだから若干事情は違うと思うけど。
そういえばダラムシャーラーで 白人のおばさんが物乞いに出会う度に 嬉々とした顔でお金をあげてたのを見ました。
気持ち的には素晴らしい行為だと思うけど、限度が来た時何を思うのかな。

ムンバイは行かなかったから分からないけど、デリーでそんな子供達に会いました。
残念ながらヒンドゥが解らないのでコミュニケーションが取れませんでした。
7・8歳の女の子2人組で 籠に入ったきったないビーズを買ってくれとしつこかった。
髪はボサボサ、顔も汚い、服は汚れていてボロボロ、もちろん裸足。
最初は可愛らしいんだけど、買う気がないと分かると途端に変わる。
刃物に変わる。噛み付く犬の様な、かまいたちの様なそんなイメージ。
買わないと噛むよって、脅迫ですね。全然子供じゃないです。

それでも、買わない。
すると口に何か入れるジェスチャーで何か食べたいから金をくれって言う。
脅迫しても何をしても無駄だと分かるまで、彼らがそこを離れるまで辛抱ですね。
甘い顔するといつまでも付いて来ます。逃げても良いんだけど、私は観光したい。
だからいつも 取られない様に手ぶらに近い状態で観光地に行きます。

昔、一度 ローマでジプシーの子供に囲まれ 財布をすられた事があります。
すぐ気付いて彼を捕まえて わーわー言ってたら通りすがりのイタリア人おばちゃんが加勢してくれて取り返せたんだけど、彼らの目を見ると 子供じゃなく大人でもなく、狩猟動物の目をしています。すられる様なウエストポーチだったし、私が甘かった。

そんな彼らが大人になるとどうなるのか、とても興味深いです。
お国事情、マフィア事情にもよるんだろうな。

「レンタルチャイルド」、文庫本になったら買ってみます。

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プロフィール

HN:
HIROMI
HP:
性別:
女性
職業:
自営業
趣味:
自己紹介:
早稲田にてアートメイクサロンをしています。出張もするよ~♪興味があったらご連絡ください。バックパックの旅が大好き。息子達を放ってふらっと旅に出ます。ふふふ。

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